「ものがたり」を書こうと思う。
小学生3、4年生向けの
「ものがたり」を書き切りたい。
博多ブログを
書いている理由は
自分とローカル(地域)との
関係のきっかけを
残すことを
コンセプトにしているから。
最近は
博多ブログの内容を
直接、読者さんに
褒められることがある。
ものすごく嬉しい。
博多ブログは
SNSでバズる文章ではない。
読んだ人に余韻が残るような
文章を書きたいから。
また、自分が読み返したときに
読みやすい文章であること、
等身大の自分であることも、
大事にしていきたい。
最近は、
九州に関係する人に伝えたい、
残したいと思い、
西日本新聞に
自分のエッセイを投書した。
自分以外のために文章を伝えたい、
残したい、という気持ちが強くなった。
承認欲求や
自己顕示欲は、もちろんある。
その欲と素直に向き合いながら
誰かのために残したい、
自分のために残したい、
具体的な
誰かに伝えたい。残したい。
なぜ?いま?
児童文学を書くのか?
理由は複数あるけど、
一番の理由は
自分が小学生だったとき
大人になったときでも
読みたくなるような
ワクワクするような
「ものがたり」を書きたいから。
AI時代だからこそ、
AIによる執筆は行いたくない。
博多ブログもAIによる執筆は
「ほぼ」行っていない。
たまに添削自体は行うが
完全に辞めようと思う。
どの表現にするかも含めて
時間をたっぷり掛けて
自分の言葉を綴りたい。
博多ブログは仕事でもなく、
成果をすぐに
求められない活動だからこそ
AIを使わずに
執筆の過程を楽しみ、
苦しみ、
地に足をつけて
文章や創作の力を伸ばしたい。
なので、自分が書く
児童文学の「ものがたり」も
AIによる執筆は一切なしで
新人賞に応募しようと思う。
そもそも新人賞は
AIによる執筆を禁止にしている
ところが多い。
基本的に本を読むときに
読者はAIが
使用されているかを
意識しないはず。
「ものがたり」自体が面白いか
だけを判断するから。
AIを使用しても
作者自身が納得すれば良いのでは?
と思っていた。
しかし、文学系の
新人賞で
AIを禁止にしている
理由は「推敲」
つまり、
「表現の変更」や
「文章を整える」こと自体は
AIやプロの編集者でも
出来るからだよね。
そして、新人賞は特に
作家の内側から出る文章や
表現、文体、原石
みたいなものを、
審査員が素直に
向き合いたいからだと思う。
極端な話、
出版社の新人賞でなければ
AIを使っても良いし、
AIを使う前提の創作なら、
AI創作の新人賞ジャンルで良い。
文章創作においてのAIの使い方、
プロンプトの出し方、工夫自体
を評価すれば良いよね。
AIを使用して、
面白い文章を書ける人は
編集や推敲の能力が高いと思う。
だから、AI執筆において
評価する部分はその能力になる。
※新人賞でもAI執筆の
ルールは出版社によって異なる
自分が児童文学で
書きたいテーマや
残したいメッセージ性は
ほぼ決まっているけど
テーマには引っ張られずに
説教くさくならないように
次のページをめくりたくなるような
「ものがたり」を書き切りたい。
ジブリ映画の
「耳をすませば」の
ヒロインの
雫(しずく)が「ものがたり」
を書き切ったように
自分も「ものがたり」
を書き切りたい。
もちろん、「エッセイ」と
「ものがたり」
では、使う脳が全然違うのと、
難しさも大きく異なる。
「ものがたり」は
総合文学だと思う。
博多ブログから
少しずつ、
少しずつ、
ネットから飛び出して
印刷されて残るもの
(新聞や本)
に対しての文章による
創作活動に今は向き合いたい。
しかし、
仕事が忙しく、
心に余裕がなくなると
創作できないのも分かる。
けど、それ自体も受け入れたい。
書けないときは書けない。
書けるとき書けば良い。
その気持ち自体を
未来の自分に向けて
博多ブログに残したいから
今、書きました。
最後まで読んでくれた方
本当にありがとう。
締めは、この一曲
「バロンの歌」
さあ でかけよう
出発の刻(とき)が来た
磁石も地図も捨てて
世界を股にかけ
さあ でかけよう
出発の刻(とき)が来た
引用元:「バロンの歌」
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